リアルタイムは6月24日、アイルランドのダブリン。



10日以上更新開いちゃいましたが、そのあいだ……



アイスランドをレンタカー旅したり、



ロンドンでコールドプレイのライブに行ったり、



かなり怒濤の、というか中身が詰まった10日間でした笑



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4月2日はサラエボの街をブラブラする日。



やること沢山あるので、早めに行動開始ですm(_|_)m



まずは宿のスタッフに行き方を聞いて、トンネル博物館へ。



写真は無いんですが、ボスニアヘルツェゴビナ紛争時、サラエボがユーゴスラビア軍に包囲された際、



唯一サラエボと他のボスニア人陣地とを結んでいたトンネルが再現されてるんです。



でも……ただ、この博物館、展示内容が少な過ぎて……



普通はツアーでガイドさんの話を聞きながら、映像みたりいろいろ盛りだくさんらしいのですが、個人でやってきたワイはそういうの全く無し泣



非常に非常に不完全燃焼な感じで退散です泣











帰りはタイミング良くサラエボの中心部へ帰るというドイツ人グループからタクシーシェアを誘われ、お言葉に甘えてワイも同乗笑



思いがけず格安でタクることができました笑



中心部に戻ったあとは、歩いてサラエボ冬季オリンピックのメインアリーナへ。



この会場、オリンピックの施設を見学に来た訳じゃありません。



サラエボ包囲の際、墓地の足りなくなったサラエボ市民が仕方なく犠牲者を埋葬したのが、



このアリーナのサブグランド。



今でもこのグランドは墓地として使われています。



そしてアリーナもスポーツ施設として現役です。



スポーツと平和の祭典であるオリンピック施設と、



戦死者を埋葬する墓地と、強烈な対比。



別に酷いものを見たわけでは無いのに、衝撃的で、絶句です。



そして見つけたのが墓地の中にある、屋根の無いモスク。



屋根の無いモスクなんて初めて見ましたよ。



なんだかここは慰霊の中心な気がして、思わず涙が。



この隣のグランドでは、地元少年たちがサッカーの練習してました。



サラエボという町は栄光からどん底まで経験した町だけど、それは過去のこと。



現在進行形なのはサッカー練習してた少年たちなんですね。



ああ。。。写真があればなぁ・・・。

























次は中心部に戻って、ジェノサイド博物館へ。ほんと市街地のど真ん中にありますm(_|_)m



ボスニア紛争は、ジェノサイド(虐殺)が多数発生した紛争として有名なんです・・・。



戦争の悲惨さに優劣なんてつけちゃいけないけど、このボスニア紛争はワイが調べた中でもトップクラスに混沌とした紛争。



イデオロギーの対立ではなく民族の対立なので、民族浄化が行われるわけです。



そして当初ボスニア人&クロアチア人VSセルビア人だったのがボスニア人とクロアチア人が仲違いして三つ巴の戦いになったり、



国連やNATOが介入しようとして、しなかったり、もう訳がわからない。



今日来た博物館はスレブレニツァの虐殺という事件の博物館です。



正直よく知らないまま来てしまい、展示見た後から自分でネット調べたのですが、



このサイトが詳しい気がします。



展示内容は全て英語なので不完全燃焼な感じだったのですが、映像を見ることができまして、時系列で詳細にそこで何が起きたか説明を聞くことができて、この映像はほんと見ておいたほうがいいです。

























次はスタジアムに向かいがてら、かつてスナイパー通りと呼ばれた通りをうろつきます。



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この写真の右側が川になってるのですが、川の向こう側がセルビア軍に掌握されてしまい、川向こうからスナイパーが常にボスニア側を狙ってたそうなんです。



なんでも動くものは全て撃ってたみたいで、一般市民も当然巻き込まれます。



そしてこのスナイパー通りに関してはあの山路徹(笑)が当時詳しくレポートしてます・・・笑



山路徹って、あの麻木久仁子とかとやらかしたあれです・・・笑









写真に見える黄色い変な建物が、戦時中も営業していたというホリデイインです。



実はこのホテルにどうしても泊まってみたかったのですが、なぜか予約ができない。



なのでこの時直接現地に乗り込んでみたのですが・・・



なんと!



閉鎖されちょる(´;ω;`)



戦争も耐え抜いたホテルが・・・



閉鎖されちょる!!!!!(´;ω;`)



戦争は耐え抜いたかもしれないけど、資本主義の荒波には耐えられなかったんですかなぁ・・・。

























スタジアムに向かう道はまさにボスニア人勢力とセルビア人勢力の最前線。



なので爪痕が今でもたくさん残ってます・・・。



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弾痕がそこかしこにあったり。


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わかりづらいけど、炎上した跡があったり。



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ここも弾痕。



そしてスタジアム前の団地、ここがひどかった。



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ここの蜂の巣っぷりはひどい。



特に最後の写真・・・

























で、この団地の目の前には目的地のスタジアム!やっと到着です!



サッカー好きの兄にヨーロッパの珍しいクラブのシャツを買ってきてくれと頼まれていたので、



スタジアム内のファンショップに行こうと思ってたのだけど・・・



ファンショップなんてどこにも見つからず泣



ちなみに今日はFCジェリェズニチャルのホーム試合もあります笑



当初は観戦はしないつもりだったけど、現地サポに絡まれ、いつの間にかチケットカウンターの列へ笑



並んでたら貧乏なジェリェズニチャルサポーターが寄ってきて、ワイもなぜかノリでそいつの分まで払ってしまう笑(でもまあ500円もしないんだけど笑)



で、入場!笑



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そして試合開始!



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ちなみにFCジェリェズニチャルというのはFC国鉄という意味らしいです。 国鉄スワローズ的な。



なのでスタジアム内に蒸気機関車が展示されてて、試合開始時やゴール入った時は機関車の汽笛がポッポ〜と鳴るわけです笑







ワイ、これが初めての欧州サッカー観戦だったんですが、サポーターのドスの効きかたがwww



もうね、超怖いんですよ笑



ヤジとかすごいし、爆竹ってレベルじゃ無いダイナマイトみたいなやつ投げ込まれるし。(それも結構頻繁に)



明らかに観光地を歩いてて見ることができる現地人とは雰囲気が違う笑



そもそも機関車の前とかも完全武装の機動隊が固めてて、機動隊が写っちゃ怒られるかなと思って写真バシャバシャとれなかったり笑



でもフーリガン対策で機動隊大量にいるし、場内でアルコールの販売禁止でオレンジジュース売ってるしで、なんだかんだで安全でした笑



で、結果は3−1でジェリェズニチャルの勝ち!



ちなみにジェリェズニチャルはあのオシムも、オシムの息子もプレー&監督したことあるチームなんですm(_|_)m



試合終了後に露店の非公認ファンショップにも寄ってみたけど、シャツは売り切れ・・・。



しゃーなしに中心部のサッカーシャツ屋に行ってみたら、なんと発見!笑



兄上にいいお土産ができました笑

























夕食は宿のスタッフ一押しのボスニア料理「ブレク」
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トグロ状に巻かれたミートパイで、もう超絶美味!!



この旅でもトップクラスの美味しい料理でした!!
























【今日の宿】
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トラベラーズホームホステル 8人ドミ:8ユーロ

Wi-Fi:有
エアコン:無かった気がする
ホットシャワー


今日買ったジェリェズニチャルのシャツ見せたら、超喜んでくれた笑